院長プロフィール

P_20160403_152833

院長:矢作 祐介

2002年 日本カイロプラクティックカレッジ卒業

2006年 呉竹学園鍼灸科卒業

都内の治療院にて修業後、開業。

私は38歳でデビュー戦を迎えた遅咲きのキックボクサーでした。若いころにフルコンタクトカラテの経験があったので自信があったのですが、キックボクシングデビュー戦ではまさかの一撃! 鼻を折られてTKO負け・・・。
文字通り、ものの見事に鼻っ柱を折られてしまいました(笑)。そして試合後病院へ直行。

その後もさんざん怪我に泣かされながらもリングに上がり続ける事3回。全てTKO負け(笑)。結局、4戦4敗(4TKO負け)という戦績・・・。
あまりにも怪我が多く、しかも負けばかり。流石に潮時かと思いましたが、執念で臨んだ覚悟の5戦目。

衝撃の13秒KO勝利!
負けて、負けて、負けて、負けて。そして5戦目での待望の勝利。結局1勝4敗(1KO勝ち、4TKO負け)というドラマチック(?)な戦績を残してリングを降りる事としました。

私も治療家となってはや10年以上。様々な患者さんたちを見続けてきましたが、治っていく患者さん達には共通点があります。

それは”諦めない事”。

私はプロの治療家として精一杯の施術を提供しますが、神様ではないので奇跡は提供できません。
苦しみの深い方ほど、奇跡を望みますが、不可能です。
慢性的な症状の治癒というのは、自然の草木のようにゆっくりと時間をかけながら育まれて最後に花を咲かすものです。私も負けて、負けて、負けて、負け続けましたが、諦めませんでした。
諦めない意志の強さが、治癒に至る最大のカギだと思っています。
共に大輪の花(治癒)を目指して頑張っていきましょう!

(私の経歴)

神奈川県横浜市にて出生、栃木県宇都宮市にて育つ。
(なぜか本籍は埼玉県だった。・・・why?)

少年時代は、友達と遊ぶのも、一人で本を読むのも好きな普通の少年。中学入学後、テレビアニメの影響で軟式テニス部に入部。当時はベビーブームにTVアニメのに影響もあってマンモス所帯。苦しい1年間の下積み(玉拾いと素振りの毎日)のすえようやくレギュラーに!
けれど好事魔多し。原因不明の首の不調が発症。結局一度も試合に出ることなくテニスは引退(涙)。数件の整形外科に行くも、いずれでも原因不明との診断。そして電気やら牽引やら湿布やら投薬やら・・・etc!

病院では原因不明と言いながら場当たり的な治療を繰り返し、はては毎回行くごとに処方される大量の薬剤!
中学生ながらすっかり近代医療に幻滅。そんなある日いよいよ自由に曲がらな無くなった私の首を見て母が近所の治療院へ。
そこで衝撃な経験。今までどこに行っても改善しなかった私の首がたった一回の施術で完治。(おおっ!!!)

そしてその衝撃的な施術が

”カイロプラクティック”

その後、健康を取り戻した私は高校へ進学。山岳部にて春夏秋冬しごかれながら(一種の自衛隊的な・・・)高校生活を満喫。いよいよ進路を決める時期に差し掛かったころ当然私の頭の中には治療家への憧れが。
しかし現実は厳しい。当時私がいたのは進学クラス。周囲は○×大学一直線の友人ばかり。
そんななか自分ひとりだけ治療家になるため専門学校に行きたいとは言えない空気・・・。
(今では大学もありますが、当時は専門学校しかなかった)
生来の気の弱さを最大に発揮した18歳の私は、流されるままに普通の大学へ進学(笑)
その後流されるように事務屋サラリーマンへ。
人間関係、給与に恵まれながらも次第に人生に疑問が。

「このまま一生この稼業を続けて良いものか・・?」
「俺はこのまま惰性に流されて生きてしまってよいものか???」

そして一念発起したのが27歳!
ついにカイロプラクティックカレッジに入学。やっと自分の人生を取り戻す(笑)
そして命を削るような苦学が33歳まで(笑)

その後、都内治療院での厳しい修業を経て開業。開業後もリーマンショックで経営が傾いたり、地震で経営が傾いたり(笑)。

「俺は人間サンドバックか?」と自問する日々を耐え抜き今に至る。

友だち追加

ご予約、お問い合わせは

~完全予約制~

03-3455-7830
平日9時~21時
土・祝9時~18時
日曜日定休

JR田町駅西口徒歩8分
三田駅A9出口徒歩4分
芝公園駅A1出口徒歩4分

タイトルとURLをコピーしました